語彙力ない。でも黙ってられない。

嵐沼にどっぷりつかりつつ他G沼にも片足つっこみつつあるいちヲタの思考の一部

どこまでも聡明で信用できる5人だなほんとに

あの動画からまだ4日しかたっていないのか。

時空が歪んでいる(?)

 

とにかくあの動画を見た時は彼らがあんな表情をしていることが、あんな声で語っていることがとにかく悲しくて、思考なんて全停止したままとにかく泣いていた。彼らが言っていることとかよくわからなかった。わかりたくもなかった。

涙も鼻水も枯れるまで泣いた。枯れても嗚咽が止まらなかった(しんどい)

 

でも彼らは数時間後にはメディアの前に立ってすべての質問に対して何の淀みも迷いもなく、誠実に正直に答えていて。智くんの表情を見て、ああ現実なんだと思い知らされると同時に全員が共通認識をもって納得するまで話し合ったんだってわかって。

また涙した。

彼らが発する言葉すべてをまるっと信用できる、これこそここまで嵐が積み上げてきた信頼と信用の成果なわけで。

自分はなんて人たちを好きになってしまったんだ。

こんなに真っ直ぐ届けられたらあなた達の出した答えを受け入れるしかないじゃないか。

抵抗してもどうしようもないけど。そんな事考えたらまた泣きそうだ(自爆極まりない)

 

 

「5人じゃなきゃ嵐じゃない」

この言葉を繰り返す彼らは、自分が大好きな彼らの姿だった。

活動休止を報告する記者会見を笑い溢れるものにするのだって

必要以上に暗い顔をしないのだって

発表後すぐにzeroのある日曜の夜を選んだのだって

翌日の朝WSにでるジャニーズの仲間や先輩後輩にきちんと連絡を入れるのだって

翔くんがzeroで語ってくれた言葉たちだって

潤くんが更新してくれたEnjoyだって

どれも前向きで聡明で誠実な、大好きな嵐の姿だった。

これまでの20年がどれだけ正直なものだったかを教えてくれる。

どこまでも前向きで聡明で誠実で、また涙が出る。

 

だから、後付けの「物語」を考えるのはもうやめようと思う。何も知らない状態で感じたものを冷凍保存したい(?)今まで純粋に楽しめていたものが急に疑いを向けるものになったり他の意思が入ってきてしまうのは悲しい。

本人の口から語られること以外は全部妄想だ。

 

 

そしてやっぱり悲しいもんは悲しいし寂しいもんは寂しい。

翔くんがzeroで「ドラマ、映画、CM、司会、各方面の皆さま!櫻井はオファー待ってますから!」と叫んだってやっぱり涙が出てしまうのは「歌って踊る嵐」が一番好きだからだ。

週に何本レギュラーのバラエティーがあったって、彼らが一番輝くのはアイドルとして歌って踊っている姿で。もちろんバラエティーが全部なくなったら死ぬほど悲しいんだけど(めんどくせぇ)

 

自分は母親友達から半ば押し付けられるように借りてきたアルバム5×10で嵐と出会い、ファンになった。

音楽から嵐の世界に踏み込んだ転がり落ちた人間だ。

泣きたいときだって大声を出したいときだって嬉しいときだってぼーっとしたいときだって、なんとなく垂れ流しておきたくなるのはいつだって嵐の曲だったし、見たくなるのは嵐のコンサートだったし、つい口ずさんでしまうのは嵐の曲だった。

 

 

いつから彼らの活動をどこか当たり前に思うようになってしまったんだろう。

10月にアルバムが出て

11月から年末年始にかけてツアーがあって

夏ごろにツアーのDVDが出て

ツアー明けから次のアルバムまでにシングルが3枚くらい出て。

このサイクルが始まったのはPopcornの時だったと思うけど、君僕からCDを買うようになった自分にとっては嵐を好きな間のほとんどがこのサイクルだった。

それでも「こんなの決して当り前じゃない。この状況に感謝している」と彼らの口から話があるたびに「そうだよね、当り前じゃないよね、こちらこそありがとう」と思っていた。それは間違いない。

でも、やっぱりそれは建前だったのかもしれない。だって普通にツアーのタイミング予想してそれとなくスケジュール空けたりしてたし。嵐がとまるなんて可能性ないと思ってた。なんて馬鹿野郎だ。「無限であるほうが気持ち悪い」のに。

 

 

こんなとんでもない人生最大級の喪失感を抱えながら、どこか楽観的な自分もいて。

そう思ってる自分がちゃんちゃらおかしい時もあるんですけど。

自分は将来の予測が著しく苦手で、受験のころに散々聞かせれた「この学校の制服を着ている自分をイメージしてがんばろう」というのがさっぱり理解できなかった。というか合格して着る制服が決まった時ですら想像できなかった。

だから、2年後の嵐を想像することなんてたぶんもっと無理だ。

自分の1年後も考えられないのに(これはなかなか差し迫った問題だけど)、自分じゃない上に2年も先なんて絶対に無理だ。無理すぎる。

だから今、彼らが発してくれる言葉、見せてくれるパフォーマンスを心に刻み付けるしかない、と思ったりする。

だってそれしかできないじゃない??????????(??)

嵐はきっとまたどんどん新しいものを見せてくれるし

週に何本も追いつけないほどのレギュラー番組を抱えているし

休止までに円盤のリリースもあるだろうし(だって潤くんが出したいって言ったんだから出るだろ)

立ち止まっていたら置いていかれる。投げかけてくれるものを取りこぼしてしまう。

 

 

でも、でもやっぱり涙は出る。

だって、自分は、嵐がいない世界を知らない。 

小学校高学年で嵐と出会って

小学校の遠足も修学旅行ももう覚えていないのに

日常をどう過ごしていたかなんてもっと覚えていない。

記憶にある自分の人生にはいつも嵐がいる。

受験の時に親がやめさせるのを諦めるくらいやめられなかったのが嵐だ。

だからこの日常が壊れるのが怖い。知らないから。

嵐がいない世界の渡りかたを知らないから。

でもきっと歌って踊る嵐がいない世界でも飯はうまいし布団は最高だ。それしかわからない。

 

 

智くん、事務所を辞めない決断をしてくれて、休止まで2年という時間をもうけてくれて本当にありがとう。

きっといますぐ休みたいと思う。

だからせめて、自分の船で海に出て、新しいアートに出会って、好きなことやれる仕事だけすればいいよ。歌って踊るのは実は好きじゃないって言われたら困るけど。彼のいる世界ではなかなか難しいことかもしれないけど。

動画や会見で彼だけがものすごく悲痛な顔をしているのが本当につらかった。

ファンに迷惑かけたっていいよ。あなたの支えにならせてよ(重い女)

 

事務所を辞めなきゃ自由が手に入らないって思いなら話は違うけど、自由が欲しい、そのためには事務所を辞めなきゃけじめがつかない、って。でもそこでメンバーと事務所の人に引き留められたとき、自分の思いを考え直す余裕が彼にはあった。

すべての制止を振り切ってひとりで走って行っちゃうんじゃなくて、メンバーと一緒に立ち止まってくれた。

休みたいと思うほど求めてしまったのはファンかもしれないけど、休んで帰ってくる場所を作ってあげられるのもファンで。勝手に好きになって勝手に死ぬほど絶望しているけど、勝手だけど勝手にあなたの居場所を用意させてほしい。

「ここにはーーー?」「あるからーーーーーーーーーー!!!!!」の準備はきちんとして待ってるから。

 

というか、ファンってなんなんだろうってことがちょっと頭をよぎったりするんですけど、考えるたびに思うのは今回「あ、置いていかれた」って思わなかったってことなんですよね。もちろん1年半もこの話を表に出さなかったんだから置いていかれてるって状況的にはいうのかもしれないけど、ドラマ撮り始めてても番宣できないのと同じ感覚なんですよ。

そんな話をしていることをまわりにみじんも感じさせなかったことを「プロ意識」と話すコメンテーターの方とかよくいますけど、自分はちょっと違うと思っていて。

「バレないようにしなきゃ」って思わなくてもバレなかったんじゃないかなって。これだけ誠実に、お互いを尊重しながら喧嘩をしないで話し合いができていたら、ずっとそんな雰囲気をまとっているわけじゃないはずで。もちろんそれをプロ意識と呼ぶのかもしれないけど。必死に隠そうとしたんじゃなくて、その話をするときはただひたすらにできる方向を探していたんじゃないかなって。

 

あーーーー物語を探すのはやめようっていったじゃんか、、、、、、(クソ)

 

 

もうこのブログの締め方がわからなくなってきた。

あらゆる歌詞が嵐とファン、智くんと4人みたいな構図にきこえちゃって無駄に泣いたりするけど、もう大丈夫泣かずにみられると思って君僕stadiumをDisc1だけ見てテンション上がって5×10見て結局号泣したりしてるけど(生き地獄)

いますぐ活動休止なわけでも、解散するわけでもない

いますぐ活動休止なわけでも、解散するわけでもない

 

とにかく明日のMステが楽しみだなーーーーーーーーっ!!!!!!(大声)

 

“Don't stop music  Never stop music”

“いつか笑ってまた再会 そう絶対”

“さよらなじゃないよね -また会えるから”

 

・・・・・・・・・・・。

 

 

 

大好きだばーーーーーーーーか!!!!!!